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2020.10.05

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読み物

ここにいるよ。
第2話「ジブリの呪い」

みなさん、こんにちは。今が混じる、今と混ぜる「こんこん(今混)」で出会った演出家/脚本家のユリイカ百貨店・たみおと、コピーライターのかたちラボ・田中です。

うんうんうなって、こねくり回して、アハハとやってく往復書簡を始めます。

ここから何か面白いことできたらいいですね。いったい何ができるのか、我々もさっぱりわかりません。でも、とにかくやってみましょう! 

たみお「田中さん、田中さん、たみおです。」田中「たみおさん、今日は何をしましょう?」

今日も、ここにいるよ。


どうも、田中です。

たみおさんに「王蟲の触手」、そして「金色の野」の話をせがんで始めたこの連載、というか往復書簡。いやはやめちゃくちゃ面白かったですし、学びになりました(とはいえ、お返事が遅れまして、すみませんでした)。

王蟲の触手の話を初めて聞いた時、すっと腑に落ちたのと、これは今の時代と関係する考え方や現象だと感じました。同時に、この解明というか深掘りをすることが演劇文脈から派生して、田中が片足を突っ込んでいるクリエイティブ文脈、さまざまなビジネスのあり方にも影響を与える「概念」になるのではないかと。簡単に言うと、ツバをつける、ってやつですね。これでひと儲けしよう!という魂胆です。ガッハッハ。

話は変わって、田中が解釈した「王蟲の触手」と「金色の野」について。

先日、くるりと星野源の配信ライブを観ました。どちらも3,000円くらいの価格だったと思います。田中はケチなのでコスパを考えてしまったことと、最終的にYou Tubeで観るライブ映像と何が違うのだろう?と思ってしまったことで、ちょっとがっかりしてしまいました。

なぜそんな気持ちになったのか。たみおさんからいただいた第一話を読み、あ、と思ったことがあります。

そのことを紐解くために、第一話の文章を引用します。「観客は、そして演奏家は、実演家は、そして裏を支えるスタッフは、互いにひとつの作品に向き合いながら、数多の無意識の触手を伸ばしあい、その頭上に金色の野を作っているのではないかと、コロナの中で部屋に閉じこもりながら、考えたんです。」

それを踏まえて、あ、と思ったこと。会場に関係する全員が触手を伸ばし合い、確実に金色の野が生まれるのは「客電が落ちる瞬間」だったということです。演劇でも音楽ライブでも、まずは暗転することで、この感覚にとても近づけてくれるのだろうと思います。真っ暗にして視界を奪うことで、触手は自ずと伸びやすい環境になるのだろう、と。ぼくは客電が落ちる瞬間というのは、チケット代の8割くらいの価値はあると、田中は思っていました。そんなことも忘れるくらい、現場に行っていなかったのですね。

配信は手軽に「ライブ」を届けられるのですが、感覚的な「ライブ」は受け取れません。その理由の1つが、客電が落ちるかどうかにかかっていたのではないか。もしかすると、配信スタートと同時に家の電気を誰かに消してもらえれば、顧客満足度が上がるのかな、と妄想してしまうくらい、触手を伸ばし合い、そして伸ばした先に生まれる金色の野に想いを馳せているのかもしれません。少なくとも、田中はのどから手が出るほど、伸ばしたい!です。

渇望。まさに、渇望です。

触手を伸ばし合い、金色の野が生まれる「現象」は何もエンターテイメントに限ったことではありません。田中のような「経営理念屋」のような商売をしていると、会わずしてまとめるというのが感覚的にとても難しいです。オンラインでは触手を伸ばしにくく、その場にいないので色々なノイズが走ったり、誘惑(スマホを触る、メールを返すなど)に襲われたり。そのようなものがライブであること、ライブの感覚を奪っていきます。「今」いる場所と時間を共有し、触手を伸ばし合えることは、贅沢なことかもしれません。それくらい尊く、何かを生み出すには必要不可欠な要素なことだと痛切に感じています。

補完する1つのエピソードを。

ほぼ日での「糸井重里×西田善太×川村元気」の鼎談記事第7回「宮崎さんと横尾さん(https://www.1101.com/n/s/nishida_kawamura/2020-07-26.html)」より

冒頭、西田善太さん(ブルータスの編集長)が、Googleなどで活躍する開発者や技術者たちはウェブやインターネットなど、目に見えないものや未来のものを作っているけど、彼らにとって実はリアルが大事で、リモートワークに向いていないと語っています。未来に向けてものを生み出すには、しっかり会って話さないとだめだ、と。そこで、糸井重里さんが「つまり、花の絵って、花からしか生まれないんで。」と言います。これは、すごい!と思いました。正直、彼の名作と言われているコピー「おいしい生活」を超えたな、と。それくらい今の時代を言い得ている気がします。そこに、西田さんが「画像から生まれるものじゃないです」と付け加え、本当に大切なことが解像度を増して伝わるなと。

今、会って話す中で、新しいことや必要なこと、また次の企画が生まれるとぼくも思います。まさに「半径3mの中から企画が生まれる」だなと。他人の言葉を拝借してしまいましたが、この言葉こそ、記事のタイトルにもなっている宮崎駿さん。ぼくらは宮崎駿さんの手の平の上で踊っているのか、もしくはとんでもない呪いにかけられているのかもしれませんね(逃れられない!)。

さて、ここからが本題です(うそでしょ!)。たみおさんからいただいた第一話「王蟲の触手」を読んで、ふと思い出したのが、「隻手の音声」でした。

これは、いわゆる禅の修行に出される公案の1つです。公案は正式な答えがあるわけではなく、自分なりにプロセスや肌感、経験の中で、自分なりに解釈してどう真理に近づけるかというもの。その公案の中でも有名なものが「隻手の音声」です。もしかすると、知っているかもしれませんが、少々説明を。隻手の音声は、両手を打つとパンと音がする、それでは隻手(片手)ではどのような音がするのかという内容です。三宅乱丈の「ぶっせん」という禅寺を舞台にしたマンガの中では、片手で指をパチンと鳴らしていました(いいのかそれで!)。

この解答は置いていて。「隻手の音声」と「王蟲の触手」はとても似ていると感じました。その行為には音や声はないけど、感じるものがあり、伝わり合うものがあり、1つの明解な「何か」を引き出せる要素があるのではないのかなと。「王蟲の触手」が伸ばし合うことで、見えるものや分かるものがあるということ。それは、スピリチュアルな話ではなく、関係性構築の話でもあると思います。

もう一度、たみおさんの言葉を引用します。

「観客は、そして演奏家は、実演家は、そして裏を支えるスタッフは、互いにひとつの作品に向き合いながら、数多の無意識の触手を伸ばしあい、その頭上に金色の野を作っているのではないかと」

先ほどの糸井さんの鼎談の話は「王蟲の触手」をビジネスやものづくりで補完するエピソードでしたが、次のエピソードは人間同士の関係性(共同体)について補完するエピソードです。

それは、宮本常一著「忘れられた日本人」の中から「子供をさがす」について。

山口県周防大島という小さな島で1年生の男の子が行方不明になり、警防団を含め、何十人もの大人たち探し回ったそうです。しかし、男の子はひょっこり帰ってきます。大人たちは何べんも男の子がいたあたりを探したそうなのですが、誰も気づかなかったと言います。重要なのは、「警防団が迷子を見つけられなかったこと」と、「王蟲の触手」的には「村の人たちが誰にも指示されることなく手分けをして捜索していたこと」です。原文をそのままひと段落分、引用します。「さっそく探してくれている人々にお礼を言い、また拡声放送機で村へもお礼を言った。子供がいたとわかると、さがしにいってくれた人々がもどってきて喜びの挨拶をしていく。その人たちの言葉をきいておどろいたのである。Aは山畑の小屋へ、Bは池や川の辺りを、Cは子ども(原文ママ)の友だちの家を、Dは隣部落へという風に、子どもの行きはしないかと思われるところへ、それぞれさがしにいってくれている。これは指揮者があって、手わけしてそうしてもらったのでもなければ申しあわせてそうなったのでもない。それぞれ放送をきいて、かってにさがしにいってくれたのである。警防団員の人々はそれぞれその心当たりをさがしてくれたのであるが、あとで気づいて見ると実に計画的に捜査がなされている。」と。子どもがどこの子で、どのような暮らし方をしているのかを理解している隣人たちが、誰からも言われず、それぞれが違う場所を明解な意志を持って捜査していることは、各々が触手を伸ばし合ったおかげなのかなと。言い過ぎですかね。かなり、王蟲の触手エピソードなのではと思いました。

この話を思い出したのは、今回原稿を書いている途中です。「宮崎駿」が、記憶の扉を叩いてくれました。その記憶の扉は、宮本常一著「忘れられた日本人」の「子供をさがす」を参考にして生み出されたのが、たしか「となりのトトロ」のメイちゃんの迷子シーンだったなということ。またも、ジブリの呪い・・・。ちなみに、この話と同じ舞台である山口県周防大島で、2018年8月15日、2歳の子どもが行方不明となり68時間後スーパーボランティアの尾畠春夫さんにって保護された件は、また別の話で。これも奇妙な符合です。

田中は、「王蟲の触手」や「金色の野」というものを、あからさまに再現または表現できないものかという願望がむくむくと湧きました。何をどうすれば良いのかは分からないのですが、例えば、知り合いの「オオヤマネコ」さんという版画のアーティストが展示をする際に、何か一緒にしませんか?とお話を受けていて。彼の作品は、動物や森をモチーフにしています。リアルに何かやるのか、リモートで演出するのか。「王蟲の触手」や「金色の野」を再現/表現したいですね。たみおさんとのの話もしたいです。それにしても、オオヤマネコ・・・ネコ・・・ネコバス!もはや、ジブリの呪いと一生つきあっていかなければならないのか。最後のはちょっとしんどいですね。笑