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今混東西#10 「あかんかったらやり直せばいい」 挑戦し続ける浅尾さんが、仲間とともに歩む道


古今東西。
「昔から今まで、東西四方のあらゆる所」をあらわすことばで、
「いつでもどこでも」という意味としても使われます。
歴史が根付く街・京都は、昔と今が混ざり合う場所。
しかし、そこで生まれる化学反応は「昔」と「今」という組み合わせだけでしょうか?

今混東西。
辞書をめくっても、この四字熟語の意味は書いてありません。
仕事も、背景も、興味関心も違う人々が集うこんこんは、「今」が混ざり合う場所。
いろんな「今」が集まり、新しい何かが起きようとしています。
ドアの向こうには、どんな「今」が待っているのでしょうか。


“こんこん”

開かれたドアの奥には、ウッディでおしゃれな空間。ところどころにアウトドア用品が置かれたその事務所で、今回取材させていただく浅尾さんは待っていた。

浅尾さんは、「相手に伝わりやすい姿形で表現すること」を大切にする株式会社メッセージの代表を務める。さすが“メッセージ“、ウェブサイトも分かりやすくこちらに響く言葉が散りばめられているなあと思いながら画面をスクロールしていると、「美容院の経営」という事業内容に目が止まる。デザイン会社と美容院……これは何かエピソードがありそうな予感がして、早速お話をうかがってみた。

「『何してはるんですか』っていう質問に対して僕がいつも言っているのは『伝えるお手伝いをしています』ということ。抽象的で正直よくわからんと思うんですけど、やっぱりその表現が一番僕の職能を言い当ててるかなと思っていて。アートじゃなくてデザインなので、目的があって、伝えたい人がいて、機能するということが必要です。そのうえでの手法はいろいろあるので、コミュニケーションをとる中でこっちの方がいいんじゃないの?っていうアドバイスをしながら伝えるお手伝いをしている。それが僕の仕事です。

もともとグラフィックデザイナーだったのでグラフィックデザインがベースにはなるんですが、そこを起点に例えばウェブや動画、空間デザインといったいろいろなジャンルに関わってきた結果、今の活動につながったのかなと思っています」。

高校受験で「全然知らない人しかいない学校に行こう」と受けた学校に入れたことが、自ら違うところに身を置いてみようと決断した最初のタイミングだった、と話す浅尾さん。人に相談することが少なく「こうした方がいい」というアドバイスは参考に留めて最終的には自分で決めるタイプだという今の浅尾さんをつくりあげている要素の一つに、大学時代「建築デザイン」を専攻していたことがあるのだという。これまでの人生で特に影響を及しているというエピソードをお話しいただいた。

ラジオから流れる洋楽をバックに、とてもリラックスした様子でインタビューに応じてくださった浅尾さん。

「もともとインダストリアルデザイナーか建築家になりたかったんです。大学は建築を専攻できるところに縁があって行けたので、じゃあ建築のほうをやりたいなと思うようになったんですが、その途中にいくつか衝撃的な出来事があって『あ、建築じゃない』って。それが大学2回生の時かな……早いですかね(笑)明確に3つあります。

一つめは、忘れもしない設計演習の授業でのことです。幼稚園の設計という課題で僕には『建物を囲わず、入口出口もつくらない』っていうプランがあったんですけど、それを見せたら『セキュリティーの問題でそれはできない』と言われました。いやいや、そんなこと言ってたらどれも一緒やん、こういう意図でこれがしたいからそこは譲れへん、って僕は言い続けたんですが、結局最初から最後まで“セキュリティーの問題で”って言われ続けたんですよ。建築界のすごい人に言われたっていうのも衝撃が大きかったです。今思えば、そのあたりからちょっと建築に興味がなくなったというか……根本的にどうしたいかを考えるきっかけになりました。

二つめは、世界が再構築された経験ができたこと。大学のキャンパス前の桜並木を彼女と歩いていたときに、彼女が何回も桜を見て綺麗だ綺麗だって言うんですよ。そう言っている本人の顔を見てみると、心から感動した表情をしていて。あれ?と思って自分も改めて桜を見たら、ああ、ほんまに綺麗やな、『自分は見ているようで見ていなかったんだな』と。今まで“なんとなく綺麗”で終わっていたものを綺麗だと認識したら、今まで自分の中にあったものがガラガラガラ!と崩れて世界が再構築されるような感覚があって、自分の世界が変わったんですよ。見る意味や見方を変えると、世の中の良い・悪いまでガラッと変わることがあって、その経験が僕としては一番大きかったかな。それって、デザインでできることなんですよね。なんかそんなことがしたい。設計はほどほどに“伝えること”に力を入れました。

最後のひとつはシンプルに、岡本太郎さんの著書『自分の中に毒を持て』を読んだことですね。結構強烈でした。読んでから、新しいことや危険なことに挑戦することに対してのモチベーションが上がったんですよね。それに感化されて……騙されてっていうのかな(笑)、就職活動はグラフィックデザインの道一本に力を入れていました」

事務所にはビジネス書やデザインに関する書籍が。本からさまざまな影響を受けていたということも納得。

在学中に身につけたデザインの基礎知識と、グラフィックがやりたいという気持ちで、自分ができることに身をまかせながら就職活動を続けていた浅尾さん。なかなか難航していた時に、のちの恩師となる京都のデザイン会社の社長に出会い、ついにグラフィックデザインの世界に足を踏み入れる。

「会社には16年勤めました。その16年間も、会社や自分の役割が変わったりしながら6年・6年・4年くらいの期間で分かれています。一緒に働く社員との関係を完全に0から構築していくことはなかったんですが、体制の変化とともにルールや目標、そして自分が置かれる立場も変わっていきました。いちデザイナーだった時期もあれば、制作部門のアートディレクターや、お金の管理したりするディレクターの仕事も。デザイナーの中にはディレクターになりたくないという人もいると思うんですけど、ディレクターになりたかった僕と会社の意向が合致して、希望したらやらせてくれました。会社全体のことを考えるにあたって営業も経験しておいた方がいいなと思い最終的には営業もやっていました。どれくらいの工数がかかるのか、実装した場合どういう影響があるのかを理解していた方が会社全体にとっても、もちろん自分にとってもプラスになると思ったので。同時に、自分の価値をどう上げていくかっていうのを打算的に考えたりもしてたんですけどね。

『藤原和博流 「100万人に1人」の存在になる方法』という本に、100万人に1人は難しくても100人に1人にはなれるでしょ?という内容があって。“100分の1×3は100万分の1”の考え方がすごいしっくりきたんです。それまでの自分を振り返った時に、周りに建築のことをわかっている人がいるかって言われたらまあ確かに100人中1人くらいしか居ないなと思ったし、デザイナーからディレクターになっている人ってどれくらいかな、且つ営業もできる人はどれくらいかな、とか……。自分としては、ある程度人間としての価値やパワーがないとあかんと思ってたので、それを意識しながらいろんなところに興味を持って会社員時代を過ごしました」

「こんな感じでいいんですかね」順序立てて非常にわかりやすくお話をまとめてくださる様子に終始感心しっぱなしだった。

そんな浅尾さんは、やり切ったと思ったタイミングで退職。ここからは全然違うことをやろうと転職先を探していた矢先に、コロナ禍に見舞われる。しかし、それがむしろ独立するきっかけになったのだという。

「今まで一緒に過ごせなかった子どもたちと過ごす時間が確保できて、情報を見聞きしながら世の中の動きを見ていたんですけど、これはもう大きな組織に属した方がいいとか無い、年齢的にもできる限り小さい組織になるべきだろうと。“できる限り小さい”の最小単位が自分の中では“1人”だったので、それなら独立してしまおうと思いました。それが前職を辞めてから半年後くらいかな。いったんどこまでできるか試してから次に行けばいいかと思って」

その後事業を進めながら法人化を視野に入れた勉強を続け、2022年6月に法人化。「やってみよう」と思い立ったら実行に移す浅尾さんは、実験心の塊のようだ。

「たぶん死ぬことはないので、あかんかったらアルバイトしたらええやんっていう感覚があります。やったもん勝ちというんですかね。もう40歳になるんですけど、独立するというのは昔もずっと言ってたし、16年の会社員生活を経てまたそこに戻ってきました。ただ、個人とはいえ一応家族がいるから、家族の判断もあるじゃないですか。それが僕の場合非常にポジティブなものだったというのがとても助かっています。何の反対もなく『やったらええやん』と言ってくれたんです。普通は『え、大丈夫?』って言われるんだろうけど、独立するだろうなと思ってた、と妻に言われました(笑)まあ、何とでもなるでしょう!何かあったらバイトして生きられる」

浅尾さんの背中を押した奥様も、今の浅尾さんの中でとても大きな存在だという。冒頭のキーワード「美容院」は、奥様が歩む美容師としての道に繋がっていた。

「僕、副業禁止っていうのがすごく引っ掛かっていて。リスクヘッジをするためには複数の事業をまたぐ必要があると思っているので、デザイン業以外に最低3つはほかの事業をやろうと決めていました。そのうちの一つが、僕が独立してから半年後くらいに開業した美容室です。美容師をやっている妻はもともと色々なところで働いていました。美容室って、限られた時間の中でお客さんを捌かないといけないので工程によって担当が変わったりするじゃないですか。妻はそこに不誠実さを感じていたみたいで、自分は最初から最後までちゃんとやりたいと話していたんですね。美容室の仕組みがダメというわけではないんですけど、実現したいなら自分でやるしかないよねっていう気持ちが根本にあって。コロナ禍でどんどん空き店舗が増えていく中でたまたま良い物件を見つけて契約できたというタイミングの良さもありました。美容室に関しては僕は経営担当なので、各種申請のあとは店舗の設計をして施工をしてもらって、開業にこぎつけました。

自分のデザイン業の方に建築関係の仕事も増えたんです。広告とかデザインの仕事をやっていたときは刹那的な仕事が多かったんですけど、建築は“残る”。世の中に残る仕事ができるやりがいみたいなものを感じて、独立してからは昔打ってきたいろんなドットがどんどんつながっていくような状況が生まれ始めたんですよね。いろんな分野に顔を出していたから、今ほんまに助かっています。今は1人なんですけど、会社にいた時よりも関わってる人多いというか、選択肢が多い。しかもみんなフラットやし、ちゃんと価値を残すことを前向きに関わってくれる人たちが多いです。今の状況なら手段も自分で決められるし、その方法があかんかったら難しいですって言えるし。その辺りが変わりましたね」

こんこんの自治会にもよく顔を出しているという。「もっと参加したい気持ちは山々なんですが、何せ体はひとつなので……」

こんこんへの入居は2022年の3月と、入居者の中ではフレッシュなメンバー。独立して1人になったけれど、どういう風に遊びを入れていくかや、面白い人の情報が圧倒的に足りないという課題を抱えていた時に、仕掛け人である松倉さんを通じて入居を検討。1人でやっていくのにちょうどいいサイズ、というのもポイントだった。入居して以降は松倉さんと時々一緒に仕事をすることもあるそうだ。最近では、10月1日にこんこんで開催された夏祭りイベントに、奥様と2人で無料のキッズカットブースを出店し、こんこん入居者のご家族からご近所の方々まで、列が途切れることのない大盛況っぷりだったという。

持ち前の推進力で突き進んでいる浅尾さん。すでに先も見据えているのだろうと思い「近年の目標はあるんですか?」とお伺いすると、意外にも「ない」との即答が返ってきた。

「いや、わかんないっすね。とりあえず、法人化した今の会社をどうするか考えて実行することに7-8割を割きます。で、1割くらいが美容室。残りの1-2割を新しいもう一つの事業に割きたいと思っているんですが、それを何にするかなんですよね。数年後はそれ次第かなと。“種”は何個かあるんだけど、それが育っていくかと言われるとなかなかそうでもないので。場所に縛られて動けないというわけではないんですが、生まれてからずっと京都にいますし、知り合いも多いので京都で仕事できればとは思っています。

僕、この仕事をあと15年もやってないと思うんですよ。たぶん、農業してると思います。昔から、勢いのあるところから離れて生活がしたいっていう想いがあって、何となく農業って楽しそうだなと。そのフェーズにたどり着くために今の仕事をつなげられたらおもろいなと思い“この仕事で農業に関われるかどうか”みたいなことも実は探していたりします。

高校の時の友人が農業関係や地域経済の研究していて、専門分野の人とそいつを組み合わせて何かを起こすみたいな、そういうことができるタイミングが来たらやってみたいとは思っています。仕事に直接結びつかなくても、何か社会に対してインパクトが残せるようなこと……“種”ができて、自分も一緒に楽しめたらいいんですけどね。すごく先のことを話しちゃいました(笑)」

会社を無造作に大きくせず、仲間と一緒に働いて、そのメンバーが「自分はこの仕事をした」と胸を張って旅立っていくのを見届けたい。それが今、浅尾さんの思い描く会社のかたちだという。

自分、家族、こんこんで出会う人々、そしてこれからの仕事で出会うかもしれないまだ見ぬメンバーたち。さまざまな人とのかかわりと、「なんとかなるやろ」という最強のマインドを胸に、今日も浅尾さんはメッセージを伝え続ける。


今までの足跡をすごくクリアに語ってくれた浅尾さん

計画的な歩みかと思えば、最強の”なんとかなるやろ”イズムも発揮

手製の床と砂利道。こんこん内で最も使い手によって劇的に変貌した空間

古い付き合いの「だるま商店」に毎年描いてもらう干支紙絵馬。今はもう龍の紙絵馬だそう

こんこん夏祭りのリーフレットが貼られていた

こんこんの象徴である、スイミーの絵本

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浅尾行信さん

株式会社メッセージ代表取締役。最初の会社に入社した時から「書き残すこと」を大事に、気付いたり思い浮かんだりしたことは全てメモに残すようにしている。現在は2人のお子さんと3匹の猫のお父さん。

【混ぜるといえば?】
抹茶ミルクティー。京都の和束町っていうお茶が有名な町に行く機会があって、普段あんまり甘いの飲まへんねんけど、そこで飲んだ抹茶ラテがあまりにも美味しくて、買ってきたミルクティーの素があるんですよ。それを毎日混ぜて飲んでます。なかなか溶けへんねん(笑)

写真:川嶋克