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#01 日々是口実
「悲劇を喜劇に変えてゆけ」

「日々是好日(にちにちこれこうじつ)」という何か良さげな言葉がある。

「ひびこれこうじつ」ではない。調べて知った。調べる前の自分はそう読んでいた。各自、覚えておくとそれなりに知っている人のように聞こえるのでメモしておくと良い。

CONCONのサイトで何か連載を!という相談で何を書こうかと悩んでいたときにテーマは言葉で決めてしまおうということでパッと思いだした言葉である。

深みのある言葉であるが簡単にいうと「今日が良い日か悪い日かは、あなたの行い次第」ってこと。今日が良い日だとか悪い日だとかいうのは、日々どのような種を撒いているかで決まりまっせってこと。たしかに、今日が良い日とか、悪い人かのジャッジはめちゃくちゃ主観である。決めるのは自分自身で道ゆく人や飲み友達に「今日は人生最悪の日ですね」とか言われたらカチンとくる。全ては自分次第。

では、このテーマをそのまま使うのか?それはちょっと仕事柄プランナーというアイデアを出すお仕事をしている会社をやっているので「好日」を言い換えて「口実」としてしまおう。今日が素敵な日だったという口実をこねくり出してライフハック的に全てを良い日に変えてやろう。

ということで『日々是口実』の連載を開始しようと思います。

悲劇と肩を組み、喜劇を生む。

先日、大阪にて「パ・ラパパンパン」という舞台を見にいった。松たか子、神木隆之介、小日向文世らが出演する豪華な舞台。首を傾げて眺め続ける小難しい舞台はお誘いいただき見にいくことが多いが、この『パ・ラパパンパン』は、松尾スズキ×藤本有紀らによる3時間笑いっぱなしの素晴らしい舞台だった。

既に私が観たタイミングで千秋楽につき、舞台で観ていただくことは叶わないが、クリスマス・キャロルを土台にした内容。クリスマス・キャロル…言葉だけは知ってるが話は知らない!と思って一夜漬けでディズニーアニメの30分ものをインプットして見にいった。

主人公のスクルージ(主役の名前が、言葉の意味として守銭奴の意味にもなったらしい)が過去・現在・未来の亡霊たちとクリスマスイブを過ごし自身を戒めていくという内容。若かりし素晴らしい過去と、お金に執着し続ける現在の自分、その結果生まれる悲しい未来を一夜にして見たスクルージは、クリスマスに過去と現在を公開し、悲しい未来を変えていく。

こんな感じの物語に何か急に殺人事件を掛け合わせ、さらに終始コメディの空気のまま進行する。

登場人物、何かしらの悲劇もしくは秘密を抱えている。ちょっとした運とタイミングの差で悲劇の鎖に囚われたまま生きたりしている。これは観劇してるお客さんや、見ていない全ての人にあり得ることだなと思った。そんな無数の悲劇や秘密を抱えたまま、笑いの渦が3時間進んでいく。

松尾スズキ率いる大人計画の舞台でもある。笑い倒して清々しく観劇を終え、登場人物が誰も悲しそうではなかったことに驚く。みな笑って生きている。良いことも悪いこともそのまま担いで生きている姿は教訓めいたものがあった。

誰だって、何かしらあるんすよ。

誰だって何かしら抱えて生きている。
嫌なこと、悲しいこと、色々巻き起こるだろう。

恋人にフラれたでも、ランチの定食が驚くほど不味かった、仕事で難癖つけられた…もうなんでもござれでこれ読む方にも各々の悲劇があるのだろうと思う。

でも、思い出して欲しい。原作のスクイージが過去・現在・未来を見たなかで「より良い未来に向かうために現在を変えていった」という事実。「パ・ラパパンパン」の演者たちが、過去の悲劇を抱えながらもふざけ続けていた事実を。なんという圧倒的でシンプルな事実かと思う。

んなもん、みんな辛いって、どうせ悲劇が起きたのなら面白い方向に転がしてみようやって思えている自分がいたのでした。自分自身に悲劇が舞い込むのなら、それをねじ伏せて喜劇に変えてやる。

冒頭に伝えたように「日日是好日」というのは、かなり主観的な意味合いがある。悲しい出来事も捉え方次第で喜劇の種になる。その姿勢だけで、たいていの日々は良い日になるのだろうと思う。

悲劇を振り撒く人にならないために

自分に降りかかった悲劇は自分でなんとかしたんねん!という気付きを得た次に思ったのが悲劇は常に他者から与えられるものだってこと。

自分自身が他の誰かに悲劇をぶつける人になってはいけない。この対処方法は結構シンプルで現在に喜劇の種もしくは幸せの種を植え続ける人であれば良いのだと思う。道端で誰これ構わず悪態をぶつける人や、ご老人に席を譲る余裕がない人も、誰かに強く当たってしまう人も、悲劇の種をばら撒いている。街中でそういう人に出会うと嫌な気持ちにもなるし、なんかちょっと悲しくもなる。

今日を良くするのは日々の種まきの賜物なのだと思う。すぐには芽生えることはないけれど、いずれどこかで咲くでしょう。そのくらいのイージーな感じで守銭奴みたいに欲しがり続けずに生きることが大切なのだろう。悲劇の種をばら撒く人はどんどん悲劇貯金が溜まっていく。悲劇の花しか芽吹かないのかもしれない。

「日日是好日」をもじって「日日是口実」と言い換えたが、観劇のおかげもあり今日がなんか良い日である事の口実に変えていけたように思う。たまたまだけれど。悲劇はどうにかして笑いに変えよう。悲しい出来事よりも素敵な出来事を数えよう。それだけ守れれば、今日も明日もなんとなく良い日であるように思う。