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#10 日々是口実 「剥がせないシールが失う信頼もある」

人には与えられた職務がある。
タクシーの運転手や、ヨガインストラクター、営業やライター。
私の場合は、企画を考えるプランナーだ。

肩書きとも言えるこの職務は簡単にいうと得意としていることだろう。
肩書きなんていらねーや!と思っていた人間であるが、非常に大切な情報なのだと学んだ。
それがその人の信用にすら繋がる一つのキッカケだということに。

先日アトリエ用にヤカンを買った。
冷える冬の白湯と湿度を維持するためだ。

IHしか備えてないキッチンにつき、IH対応ヤカンを調べるとかの有名な柳宗理のヤカンがIH対応しているではないか。もうワンクリックで購入である。

届いたヤカンは使いやすい細部までのこだわりとそれを見せびらかさない道具としての佇まいが漂っている。いいデザインだ。その証明書のようにグットデザイン賞のシールが貼られている。そりゃそうだわな、と思いながらシールを剥がそうとすると剥がれない。なんだこの圧倒的粘着力。

グッドデザインを讃える賞だ。そして柳宗理ときたもんだ。用の美の真骨頂である。

見てくれの美しさではなく用途から生み出される美しさ。それは表層的な美ではなく内面から湧き出る本質的なデザインなのである。

おいおい、何も理解してないじゃないか…グッドデザイン賞。
デザインを評価する印が綺麗に剥がれずプロダクト本来のデザインを損なう。
なんたる悲劇。デザインの本質を理解していない云々と言う前に無印良品の剥がせるシール作った人紹介してあげて、というか値札シールにグッドデザイン賞をあげたくなった。

話を本題に戻そう。職務だ。

良いデザインを評価するという職務を持つグッドデザイン賞。
それが基本機能を損なう時、築き上げてきた信頼というものが簡単に瓦解する。
このシールへの怒りとともに自分の中で一抹の不安が生まれる。

自分自身の本来の職務をこのような形で裏切ることで
私自身への信頼はゼロより下のマイナスまでに落ちていくのだ。

プランナーなのにアイデアが出せない、とか。
イラストレーターなのに絵が下手、とか。
運転手なのに免許がない、とか。

本来の職務を期待値越えで全うすることの重要性を感じるし、少し気が緩むとこのシールのようなことも起こしかねないのかもしれないと思ったのだ。

そんな悲劇と気付きがあった数日後。

Twitterにておなじように「グッドデザイン賞のシールが剥がせない、どうかと思うぜ」という友人のつぶやきが流れてくる。

松倉「わいもやで…柳宗理のヤカンがな…」
友人「それ同じもの私も買いました!」

という結末だ。

今日もどこかで信頼が失われている。
私自身なら意識することで改善できることであるが大量生産され手離れして行ったものたちのリカバリーはもう手遅れだ。

自分自身がこのミスを犯す前に気付けて本当に良かった。

一度、自身の職務を見つめ直して、やるべきことだけをしっかりやろうと心に決めたのであった。