#11 日々是口実 「”ない”ことを受け入れて生み出していく」
何がないって時間がない。
これはもう私だけではなく、そのような心の状態に陥ってる人たちはみな同じマインドだろう。
よく「仕事が忙しいなぁ‥」と嘆いているが、できるだけ口に出さないほうがいい(仕事が減る)といわれているが、「正しい忙しさ」は「頼られている数」だとなと最近は思ったりしている。
先日、コロナの間で秋田に訪れた。伊丹空港から90分でいける東北。初上陸だ。
飛行機から見える真っ白な雪原と黒い日本海。まるで日本がみたいな風景。地元の北海道を想う。
秋田犬(「あきたいぬ」が正式な呼称らしい)となまはげ。
秋田犬もしっかり出会ったし、なまはげ館もしっかりと堪能した。
いくつかの施設を視察する中で「ないことを受け入れる」というフレーズを聞いた。
東京や大阪、京都や福岡に比べると確かに色々ない。それをネガティブに聞くことは多いけれど、そのときは違った。ポジティブなのだ。「”ない”ことを受け入れて、生み出していく」という姿勢を見て感銘をうけたのだ。物理的な余白もある。空き家もある。コンテンツがないだけでしょげることじゃない。生み出せばいい。こんなモチベーションで、というかこういうモチベーションの人がいたからこそ、文化の歴史は紡がれてきたのだろうと想う。
とても美しい言葉を聞いたなとホクホクしていた。
そして、今わたしには時間がない。時間がないがはじめてそれを「受け入れよう」と思えてる自分がいる。実際は、講演会の依頼で秋田にいったのだが、私のほうが学ぶことが多かったように思う。感謝しかない。
どこかでココロの分岐点というものはあるのではないか。
この一見ネガティブな状況を「しっかり見つめるまなざし」をもっているかどうか。
この視座があるかないかで人生の色は大きく変わるだろう。色というか認識できる、自ら生み出せる「彩度」は極端に変わるように思う。
年始にポッケに24円しかなかったことや、次から次へと舞い込む相談に休みがないこと。
見方によれば悲惨だろう。
社長のくせに兼ねないし、優雅に過ごす時間なんてない。
それでもなお、日々を前のめりに突き進めていけるのは、旅先で出会う様々なないをことを受け入れた人たちの姿を見たからだ。今この瞬間もこちらが置かれている状況より難しい局面に向き合っているのだ。
“ない”ことを受け入れ、楽しむ。
そこから生まれる新しい何かは次の当たり前になるかもしれない。