お知らせ

読み物

今混東西#12
イラストをもっと日常に。オーストラリアに魅せられた瀬里さんが、今「つなぎたい」と思うもの。


古今東西。
「昔から今まで、東西四方のあらゆる所」をあらわすことばで、
「いつでもどこでも」という意味としても使われます。
歴史が根付く街・京都は、昔と今が混ざり合う場所。
しかし、そこで生まれる化学反応は「昔」と「今」という組み合わせだけでしょうか?

今混東西。
辞書をめくっても、この四字熟語の意味は書いてありません。
仕事も、背景も、興味関心も違う人々が集うこんこんは、「今」が混ざり合う場所。
いろんな「今」が集まり、新しい何かが起きようとしています。
ドアの向こうには、どんな「今」が待っているのでしょうか。


“こんこん”

ドアを開けると目に飛び込んできたのは、色鮮やかな花々のイラスト。ほんのり南国チックな空間にそわそわしていると、今回お話をうかがう羽野瀬里さんがにこやかに出迎えてくださった。イラストレーターとして活動する世里さんは、ご自身のイラストを雑貨やインテリアのデザインとして展開している商業デザイナーでもある。

趣味で絵を描くこともある筆者としては、何のツールで描かれているのかな?ボタニカルが好きなのかな?とさっそく頭の中を質問が駆け巡ってしまう。

そんなこんなでさらにそわそわしながら、まずは瀬里さんがどうして絵を描くようになったのかお聞きしてみた。

「私の父が元々プロダクトデザイナーで、建築のパース屋もやっていて。フリーランスで働いていて家が事務所だったので、小さい頃から絵を描くことが身近な風景だったんです。昔から想像するのが好きで、アウトドア好きの父によく山に連れて行かれたときには、移動の間ずっと景色を見ながら想像していました。絵は、自分の気持ちをうまく表現できないときに反抗する代わりに描いてたって感じです。

ちょうど私らの世代ってアムラーとかガングロギャルの時代で、化粧したり服で着飾ることも楽しかったです。でも体質が原因で背中とかお腹が出せなかったり、やっぱり抑制されてる部分もあって。人に見られるのが恥ずかしいのに自己主張はしたいっていう逆のことをするのが好きな性格だったので、絶対できないと思っていたアパレル店員もやっていたんですが、体調によっては症状が顔にも出たりして、外見的要素がいちばん重要な世代の中で、自分に自信が持てるところが一つもなかったんです。絵を描いていることもその頃は恥ずかしくてとてもじゃないけど言えませんでした。ただ、絵だけは自信を持てると言えたんです。その頃は今のようなイラストレーションというより人物や風景画を、ポスカなどを使って描いていました」

自分のアイデンティティとしてのイラストレーションを極めていった瀬里さんは、アパレル業を辞めたあと、父親のデザインオフィスで建築パースを手伝うようになった。作業場も汚れないし時間も短縮できるという理由で、完全に独学でデジタルのパース絵を学んでいったという。服飾にも興味があった瀬里さんはその頃図柄のパターンを作ることも好きで、デジタルに移行したのはちょうど良かったようだ。

オーストラリアについて話すときの瀬里さんは恋する乙女のように幸せそう。

そんなとき、瀬里さんの人生を大きく変えるオーストラリアとの出会いが訪れる。27歳、結婚後の出来事であった。

「子どもができたらもう行かれへんと思ったので、ワーキングホリデーを使ってオーストラリアと日本を3年間行ったり来たりしていました。あまり海外慣れしていなかったのと、ワーホリ仲間がカナダやオーストラリアを滞在先に選んでいたという理由で、オーストラリアに。路上パフォーマンス文化が盛んで、道端で絵を描いている人がいたり、ジャグリングやバスキングしてる人を見て、私もここで何かやりたい!と思いました。その時滞在していたシェアハウスのルームメイトの男の子は、とあるフェスティバルで壊れかけのピアノにペイントしてストリートピアノにするという企画に参加していたんですけど、そうしたら普通の男の子がいきなりそのピアノを弾き始めたんです。音楽って空間をつくることができるんですよね。私も何かやりたくていてもたってもいられなかったんですが、デジタルだったのでその場では何もできず……。急いで父にデータを全部送ってくれと連絡して、現地でポストカードにプリントし、毎週末あちこちで開催されているハンドクラフトのマーケットに参加しました。それがめちゃくちゃ楽しくて!海沿いの街で良いお天気の中、みんなが飲み食いしながらのびのびと過ごしている雰囲気がとても素敵でした。同じ時期にワーホリで来ていた日本人にも声をかけてもらったり、現地の人も私の絵を見て『すごく良いね!』『絵本にしたら?』と言ってくれて。日本人と違って、現地の方は目が合ったら話してくれるくらい近い距離感でした。

その後、オーストラリアにいる日本のエージェントさんにお声がけいただきオーストラリアの『アフォーダブル・アートフェア』にグループ展として出展させてもらったのがきっかけで、少しずつ作品の販売もしていきました。最初に売れたのは風景画だったんですけど、あまりの嬉しさにお客さんの前で泣いてしまって。エージェントさんには『プロでしょ!泣かないで恥ずかしいから!』と言われました(笑)帰国してからもちょこちょこオーダーをいただけるようになり、最初はポストカードや栞だけだったのが、アパレルメーカーさんと繋がりができて縫製会社にバッグをつくってもらえるようになったりして、今に至っています。

オーストラリアの思い出は、瀬里さんのエネルギーの源。色鮮やかなイラストからもそれが伝わってくる。

「一番最初に暮らした都市が好きになる」という“オーストラリア留学あるある”があるらしいが、瀬里さんも例に漏れず最初に訪れたパースが大好き。嘘みたいにくっきりした色の海に、赤やピンク、オレンジが混ざり合う夕暮れの空、日が沈んだあとの満天の星空。まるで聞いている側までパースに居るような錯覚を起こすほどに瀬里さんの記憶の中の風景は鮮明で、今もずっと恋い焦がれていることがよく伝わってきた。いまだに、景色が綺麗すぎて泣きそうになるくらいなのだそうだ。

そんな瀬里さんの描くイラストモチーフに動植物が多いのも、オーストラリア愛ゆえのものだという。

「オーストラリアで見た動植物に対する衝撃やインスピレーションが今もそのまま続いてる感じですね。日本にない動植物を見たときのハッとした感動や景色を、写真とかテレビを介するのではなく絵を通して表現したいと思っています。オーストラリアはビーチに行けばペリカンがいますし、レインボールリインコなんかも日本でいうスズメの感覚でそのへんを普通に飛んでいます。オーストラリアと日本って、全部が真逆で。今は京都の朝もいいなって思えるんですけど、オーストラリア滞在当時は『日本ってなんて辛気臭いんだろう』と思ってました(笑) オーストラリアのカラフルな鳥が鮮烈すぎて、スズメの茶色が味気なく感じてしまって。あと、植物のサイズも大きいし、色や形がちょっと毒々しいんですけど、面白い形のものが多いです。キングスパークという自然豊かで広大な公園があるんですが、みんな休みの日に昼間からワインやチーズを持ち込んでピクニックしている風景が最高ですね。もう、本当にオーストラリア大好きで、いつでも住みたい!でもコロナ禍を経験して、何かあったときに『日本でよかった』と思うこともあるので、住むっていうよりは半分向こうに行きたいと思ってます」

事務所を構える4番コンテナは、上の階の事務所への通り道にもなっている。取材中にもほかの入居者の方がやってきてお話しする場面が。

こうして、オーストラリアに恋焦がれる気持ちを心に住まわせながら、ご家庭の事情もあり帰国後は家を拠点にフリーランスで活動をしていた瀬里さん。人との繋がりを求めているのに、やっていることはどんどん孤独を極めていると語る。

「就職したことないし、今後するわけでもないのでフリーランスがいい……でもそれって孤独で(笑) 文句を言いながらも、道は自分で選んでるんですよね。ただ、やっぱり人との関わりは欲しくて、自分がしたことで誰かに喜んでもらいたいという気持ちがすごく強いんです。最初は好きに絵を描いていただけなんですけど、それを仕事にするのはおこがましいなとずっと思っていました。でも、やっていくうちに、SNSで“作品好きです”って言っていただけるようになって、絵で誰かに喜んでもらえるということに気づいたんです。それで、今はもっと喜んでもらいたいという気持ちで描いています」

こんこんへの入居は2022年の4月で、この春1年を迎えた。人との繋がりを求める瀬里さんにとっては、人の気配があるだけで安心できる良い環境なのだという。

「家での仕事は、娘がただいまーって帰ってくる声が聞けて嬉しかったんですけど、仕事の悩みとかがあっても“誰かと会って話す”ことができないし、外に出ていく機会も格段に減ってもう限界やな……思っていた頃に、知り合いだった入居者の川端くんのSNSでこんこんに空室が出たという情報を見つけて、見学しに行ったその日に入居を決めました(笑) もともと京都で事務所を探していたこともあり、これはもうご縁やなと。入居者の自治会にはあまり参加できなかったりするんですけど、事務所の窓から誰かが通るのが見えると『ああ、今日も人が居る!』って嬉しくなります。ほかの入居者の方とは、ちょうど先日発足した婦人会でお話ししたりしました。打ち合わせで企業さんとは接しますが、私自身会社に所属したことがないので、そういう会に参加してほかの人の考え方を聞いているだけでもすごく勉強させてもらってます」

瀬里さんのイラストが図案になった千代紙。普段の作風を残しつつ、少し和のテイストも取り入れられている。

誰かに喜んでもらいたい。人との繋がりを大事にしていたい。

こんこんに入居し、さらに活動の幅を広げようとする瀬里さんが目指すものについてもお話を聞いてみた。

「もっと作品を身近に感じてもらえるように、生活雑貨に落とし込むことで気軽に見てもらえたら嬉しいなあと思っています。みんなが、自分の好きな絵を飾れる文化になったら良いなって。欧米のアート文化は日本よりもっと身近で、家具を買いに行く感覚で絵を買いに行ったりするんです。日本は、親が子どもを連れて美術館に行くと全く興味なくてプイってしちゃうイメージがあるんですけど、欧米では『このイス良いね』の感覚で『この絵良いね』って自然に会話しています。絵を飾っていない部屋は、言ってみれば窓がない家のようなものなんです。何もないところに絵が一つあるだけで、窓があるみたいに空間が広く感じる。絵を見るって心にゆとりがないとできないことだから、そうやって心にゆとりを持てることがとても良いなあと感じています。窓があって壁がカラフルな部屋でもいいんですけど、やっぱり絵を見る時間はすごく贅沢で、“ゆとり”の意味合いが一番大きいと感じています。

そして今は、自分の絵の認知度を高めてもっといろいろな人に喜んでもらいたいです。誰かに喜んでもらえるのが一番嬉しいので、社会貢献できるような活動ができたらと考えています。仕事で、福井県の越前和紙をつくっている工場を見に行ったんですが、紙をすいていく作業では同じクオリティを保つためにひたすら作り続けないといけないんです。でも、その需要がないからどんどん紙が溜まっていってしまって。襖紙屋さんとか、建具をつくられている職人さんたちも同じように“需要がないけどつくり続ける”ということをしています。その中で、新しい需要を生むような、紙をもっと使ってもらえるようなことをしたい。私の絵は手描きじゃなくてデジタルなので、ひとつひとつが手作業の伝統品に合わせたら逆に面白いかなと思って、今は屏風や掛け軸といったものをつくっていこうかなと考えています。大阪のカドカワという襖紙メーカーがあるんですけど、『RE:KAO』という手染め友禅和紙を後世に残すための活動をされていて、そこが作っている千代紙のアートブックにもイラストを提供させていただきました。たまたまその千代紙を作っている工場が私の家の近くにあったので製造工程を見せていただいたんですが、インクまみれの床や職人さんたちがすごくかっこよくて。この技術や紙が無くなるなんて!と、衝撃を受けました。

いつか、こういった日本の文化をオーストラリアにも持って行けたらいいなあと思っています。私の絵じゃなくてもいいんですけど、絵を見て『こういう使い方したいな』とか、昔の柄だけじゃなくて現代の柄も使えるということを知って、実際に使ってもらえたら一番良いかなあと。特に千代紙に関してはそう思っています。

イラストという技術を使って、今あるものを繋いでいく活動が、今私がやりたいことですね」

オーストラリアに恋をして、日本の伝統文化に魅せられ、両方の魅力をよく知っているからこそできる、残してつないでいくための活動。

瀬里さんのイラストが人や文化の架け橋になる日は、もうすぐそこまできているのかもしれない。

羽野瀬里さん

Cruxparkの名前で活動するデザイナー・イラストレーター。小学6年生の一人娘に自身のイラストをアピールするも、今は韓国アイドルに夢中で興味を持ってくれないことが悩み。いつかオーストラリアで一緒にものづくりできる日を夢見ている。

【混ぜるといえば?】
「ボンド」。最近始めたタフティングで、生地の裏面にボンドを塗るんですけど、15分くらいかけて専用のボンドを水と混ぜ合わせるのでそのイメージが強いです。フワフワのホイップクリームみたいになりますよ。ボンドを塗って24時間乾かし、端の処理をしたらタフティングは出来上がりです。今はイスの上に敷くマットをつくっています。

写真:川嶋克